由美子へ・取材ノート
第1章 見果てぬ夢
番組の冒頭、10問のクエスチョンがぶつけられる。最初の問いは「10年後のあなたは?」というものだった。北原遥子は、ちょっと小首をかしげながら「結婚してるかもしれないし…、仕事してるかもしれないし…」と答えている。だが彼女も視聴者も、この答えを確かめることはできなかった。1年半後、彼女はあの日航機墜落事故という大きな出来事に巻き込まれ、わずか24年の生涯を終えてしまったからだ。
北原遥子について語るとき、誰もが、まずその“美しさ”を口にする。確かに“美しさ”は、彼女の魅力を伝える一番わかりやすい言葉だといっていい。5年ほど在籍した宝塚歌劇団の舞台では、まれにみる美貌の娘役として観客の注目を集めていた。同時に、化粧品や銀行のCMモデルとして一般のメディアにも登場し人目を引きつけ、また同期で親友だった黒木瞳とともに起用されたテレビの朝番組では、清楚で可憐なアシスタント姿で、多くの視聴者に愛された。
退団後は、夏目雅子と同じ事務所に所属し、夏目に続く美人女優としてデビュー。夏目のCM撮りに付いていって滞在したNYでは、沢山のツーショットを残しているが、その写真のなかで、花のように笑う北原遥子は、華やかな夏目雅子に負けない美しさと輝きを見せている。
だが、彼女自身は、自分の“美しさ”をあまり大きな武器に思っていなかった。いやそれどころか、“美女”として評価される自分と、うまく折り合いをつけられないまま、もがき苦しみ、最後まで闘い続けていたと言っていいだろう。彼女の生きた道をたどると、いつも何かに突き動かされるように、自分の全身全霊をぶつけてさまざまな表現に挑んでいる顔が見えてくるのだ。
4歳で始めたバレエ、9歳で出会った体操、17歳で入った宝塚、23歳から歩き始めた女優への道。そのいずれの場でも、彼女は悪戦苦闘し、自分に絶望し、それでも再び立ち上がって、“何かを”つかもうと、ひたむきにまっしぐらに挑み続けた。まるでドン・キホーテのように見えない目標に向かって…。
北原遥子にとって、生まれたときにあらかじめ約束されていた“美”は、逆に自分の人生にフィルターをかけてしまう“余計なもの”だったのかもしれない。自分の価値は、自分の意志と努力の大きさに見合うべきものであり、その手ごたえをこそ、物心ついてからずっと求め、夢みていたのではないだろうか。
そして、その夢の途上で北原遥子は無念の死を遂げてしまった。“美”という人々の“夢”を持ちながら、さらに高みにある“見果てぬ夢”を追い続けた1人の女性、北原遥子の生涯を、まず誕生からともにたどっていきたいと思う。
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『由美子へ・取材ノート』は毎週火曜日更新です。第2章からはブログ『宝塚プレシャス』でその一部を紹介し、全文は会員サイト『宝塚プレシャス』でお読みいただけます。
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/03/27 9:50:00 由美子へ・取材ノート | Permalink | トラックバック (1)