由美子へ・取材ノート
第2章 誕生と家族
健康優良児
北原遥子、本名吉田由美子。
吉田俊三・公子夫妻の長女として、1961年4月23日に名古屋で生まれる。誕生時の体重は当時の女児としては標準的な2850グラム。3歳4ヶ月年上に兄雅彦がいて、2人兄妹として育つ。
後年、周囲が「ガラス細工のように透き通る美しさ」と証言するような際立った美は、幼児期の写真や、母が語る記憶のなかには、まだ見あたらない。母の言葉によると、
「小さい頃は小太りで、男の子みたいなくりくりした感じでした。よく体を動かす子で、椅子の上を歩き回ったり、三輪車をこいで遊んだり。あまり女の子っぽい遊びは好きじゃなかった。いつも長男の雅彦にくっついて歩いて、お友達の家に遊びに行くときには一緒に行って。長男はなぜか女のお友達のほうが多かったのですが、そういう年上の女の子たちや長男のやることマネしたり、なんでも同じようにやらないと気がすまない、元気で活発な子どもでした」
だが兄の雅彦は、そんな妹が少し迷惑だったという。
「妹の子ども時代で思い出すことは、喧嘩していたことばかりですよ。うるさくて生意気で、けっこう泣かしました。そのかわりたまにはこっちも泣かされたけど(笑)」
☆ ☆ (中略) ☆ ☆
バレエ
江口乙矢は、日本のモダンダンスの先駆者と言われる江口隆哉の弟に当たり、戦後すぐの昭和20年に大阪に舞踏研究所を開き、体育教育や幼児の情操教育にまで影響を与えた関西舞踊界のパイオニアである。そのバレエ門下に入り、由美子は生まれて初めてスポットライトを浴びることになる。兄はその舞台を強烈に覚えている。
「大阪のサンケイホールの舞台でした。ドーランを塗って、アイシャドウを入れた妹が、スポットの下で踊っている。なんか、えらいところに足を踏み入れちゃったなと、僕は子供心に感じていました。化粧した妹は目立っていましたし、なにか、別の世界にいるように見えた。もしかしたらそのときが、人前で何かを表現することの快感に目覚めた最初だったのではないでしょうか」
幼稚園時代、バレエの発表会 4歳で出会ったバレエは、由美子をとりこにした。何かを始めたときの集中力とのめり込みかたは、彼女を語るエピソードにたびたび登場するが、このバレエ教室に関しても、母は由美子の熱心さをこんなふうに語っている。
「幼稚園で熱を出したからと迎えに行って、おんぶして帰宅したのに、今日はバレエ教室があるから行くんだって言うんです。それで、また幼稚園に連れて行くことになって。それくらい好きでした」
☆ ☆ (後略) ☆ ☆
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☆もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
☆第1章 見果てぬ夢
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/04/03 9:50:00 由美子へ・取材ノート | Permalink | トラックバック (0)