由美子へ・取材ノート
第4章 宝塚との出あい
「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション『由美子へ・取材ノート』。
第4章では、由美子と宝塚との出あいから音楽学校に合格するまでを描く。怪我や体格のこともあって、体操から遠ざかりつつあった由美子が夢中になったのは、当時『ベルばら』で爆発的な人気となっていた宝塚歌劇だった。最初は夢にすぎなかった「宝塚に入りたい」という願いが、やがてある芸能プロダクションのスカウト「事件」により、現実のものとなっていく。
☆ ☆ ☆
ベルばら世代
池田理代子が週刊マーガレットで『ベルサイユのばら』の連載を始めたのは1972年の春。由美子は11歳である。
ファンからの投書によって、宝塚歌劇団がこの人気マンガの舞台化を企画し、初めてオスカルが宝塚大劇場に登場したのは、1974年8月29日、由美子は13歳になっていた。マンガも舞台もリアルタイムに、読み、観劇した“第一期ベルばら世代”である。
豊中の子供時代、毎週木曜日に、由美子の愛読書「週刊マーガレット」を買ってくるのは母の役目だった。
「社宅のそばには本屋さんがなかったので、阪急の駅の近くまで買い物に行くついでに買ってきてと頼まれるんです。たまに荷物が多くて忘れたりすると機嫌が悪くて(笑)」
『ベルばら』の連載が始まってからは、ページを切り取ってホッチキスでとめて、何度も読み返すのが、由美子の楽しみだった。
初演で爆発的な人気となった宝塚の『ベルばら』は、月組から花組、雪組、星組そしてまた月組と組を替えて1976年8月まで上演され、全国の女性たちを引き込む一大ブームとなっていく。由美子が初めて東京宝塚劇場に、宝塚歌劇を観に出かけていったのは、中学2年の1975年11月の花組『ベルばら』で、一緒に宝塚観劇をする友人もできていた。学習塾で知り合った井上薫である。
☆ ☆ (中略) ☆ ☆
スカウト事件
体操から宝塚へ。由美子がはっきり方向転換する直接的な引き金になったのは、芸能プロからのスカウト事件である。高校2年の8月、横浜の繁華街を友人と歩いていた由美子は、有名プロダクションのスカウトマンに声をかけられたのだ。
だが、実はその前に、高校受験で、由美子は体操一色だった生活から一歩距離をおく選択をしている。雅彦は、そのあたりのいきさつをこんなふうに語ってくれた。
「うちの両親は、まず、子どもたちには、学歴をちゃんとつけさせたいと望んでいたんです。僕も、大学受験のとき、滑り止めに行かないで、ちゃんと志望校に行けと言われて、一浪して入り直したくらいですから。由美子の高校についても体操だけのところに行かせたくなかったようです。体操はあくまでも趣味とか特技で、行ける限り良い学校に行ってほしいと思っていたはず」
父もそのことは肯定する。
「平沼高校は体操部もあるというし、最初から公立に行かせたいと思っていました。ただ私立もいちおう受けておこうと、そのころは体操では國學院が有名だったんですが、受験の時期の都合でほかの私立を受けました。由美子の代わりにその発表を見に行ったら、途中で担任の先生に出会って“2番で入ってますよ。どうしても平沼でなくてはダメですか”と言われました。でもやはり僕は平沼に行ってほしかった」
☆ ☆ (中略) ☆ ☆
受験へ
芸能界入りの代わりに、という形で、宝塚受験を許された由美子は、高校2年の夏からバレエと声楽のレッスンに通うようになる。
声楽は、横浜にいる平沼高校出身の声楽家のところへ。バレエは逗子の大滝愛子バレエ研究所へ。
大滝愛子は、アンナ・パブロヴァの弟子で、たくさんのバレリーナを育てただけではなく、宝塚歌劇団に合格者を輩出するレッスン内容でも定評がある。また1955年から現在にいたるまで、宝塚歌劇団で生徒たちにバレエ指導を続けているだけでなく、逗子駅から5分ほどの距離にある彼女のスタジオでたくさんの生徒を今も教えている。
築50年、そのバレエに打ち込んだ歴史がそのまま塗り込められたような風格のある教室で、大滝愛子は30年近く前に、しかも1年にも満たない期間通っただけの吉田由美子のことを語ってくれた。
「吉田さんのことは鮮明に覚えています。この稽古場の二つ目のバーのところで、いつもレッスンしていました。前のほうにいると私の目にとまりやすいのです。本当に綺麗な子で、やってごらんというと、恥ずかしがらずにすぐやるし、明るい子でした。
私は、あまり生徒さんの事情を聞かないほうなので、体操の経験とかバレエの経験とか、その時は知らなかったのですが、スムーズに上達していくしバランス感覚も抜群で、どこか違うなと思っていました。
それから、うちの教室では、犬の格好をさせて“ワンと言え”というレッスンもあるんです。羞恥心とか見られている意識を捨てるためなのですが。それができないと舞台になんか立てませんから。吉田さんはすぐグルグルってまわってワンと、素直にやりました。彼女なら、宝塚には絶対入れると思っていたから、入学したと聞いたときは当然だと思いましたし、ぜひトップになって活躍してほしいと願っていました」
☆ ☆ (後略) ☆ ☆
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《関連情報》
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《バックナンバー》
☆もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
☆第1章 見果てぬ夢
☆第2章 誕生と家族
☆第3章 体操する少女
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/04/17 9:48:18 由美子へ・取材ノート | Permalink | トラックバック (0)