榊原和子のSUMIREジャーナル
2007年春の御巣鷹行
今年もまた5月の12日に、春の御巣鷹慰霊登山を無事すませることができた。
10日の夜から吹き荒れた強風は11日の朝になってもおさまらず、ちょっと心配だったが、とりあえず午後には止むという天気予報を信じて、風のなか家を出る。
今回は、都内で由美ちゃん(吉田由美子)のお父さんの俊三さんが運転する車にピックアップしてもらうことになり、JR新宿東口で落ち合う。金曜でやや混雑気味の新宿だったが、なんとか無事に会うことができた。車中にはお母さんの公子さん。そして私を乗せ、車は都心部を抜けて、上信越自動車道を北へと向かう。
由美ちゃんの墓石。両脇に水仙がみごとに咲いていた
お2人と会うのは去年の秋以来で、お互いの近況報告で盛り上がる。ご両親の旅行の話はいつも面白い。それぞれ勝手に世界各国に出かけていくそうで、公子さんは昨年ポルトガルに行ってきたという。その旅で、焼きたてのイワシを日本の添乗員さんが用意したポン酢で食べた話は本当に美味しそうで、イワシのためだけでもポルトガルに行きたくなる。
俊三さんは、1月に沖縄でスキューバダイビング。好奇心が強くてどれも玄人の域まできわめてしまうからすごい。そんな話のなかで、いつも当たり前のように出てくるのが、「由美子はこうだった」とか、「由美子のときは」という言葉。両親の話にはいつだって由美ちゃんが参加しているのだ。
心配した風は、予報通り午後になったら静かになった。暑いくらい明るい陽ざしの中を、妙義山を横に見ながら下仁田を通り、湯の沢トンネルへ。4年前にできたこのトンネルのおかげで、峠越えに1時間かかっていた上野村までの道のりが、35分に短縮された。トンネルを抜けるともう上野村で、山道を少し上がっていくと、今夜の宿舎やまびこ荘に着く。
やまびこ荘はおしゃれなペンション風の国民宿舎で、木工細工のインテリアがあちこちに置かれて木の香が漂ってくる。天然の温泉があり、食事は食べきれないほど多くて美味しい。そしていちばんの贅沢は、ゆったりとした時間の流れで、その穏やかさにひたっていると、日頃の不摂生がたたってすぐ睡魔がおそってくる。お2人に早々に「お休みなさい」と挨拶して自室に戻りベッドにもぐり込むと、あっというまに気を失っていた。
明けて12日。気がつけば朝7時で、なんと8時間も寝てしまった。いつも睡眠時間4~5時間で必ず目が覚めるのに、やっぱり清々しい空気と山の静けさが神経を解きほぐすのだろう。
急いで食堂へ行き、朝ご飯もまたしっかり食べる。地元の十石味噌を使ったおみそ汁や味噌漬け、特産品の舞茸やコンニャクの煮物が温かいご飯とよく合う。食後のコーヒーをいただいているところに、今日の慰霊登山に加わる予定の草野陽花さんが現れた。昨夜東京を出て、深夜3時に上野村に到着、車の中で仮眠していたという。
陽花さんといっても女性ではない。知る人ぞ知る気鋭の若手監督で、宝塚ファンのかたならご存じの演出家、草野旦さんのご子息だ。たまたま「由美子へ」の映画化の話が、出版社から陽花さんと仲のいいプロデューサーのもとに持ち込まれ、監督は彼がいいのではと話が進み、映画化の実現に向けて力を貸してくれることになったのだ。宝塚に入ったばかりの由美ちゃんが、本公演で一気に注目を浴びることになったのが、草野旦演出作品『サン・オリエント・サン』。それを思うと、縁のある人がまた目の前に現れた。これも由美ちゃんの引き合わせなのだろう。
開花したシャクナゲ。今年はまだ蕾の方が多かった
8時半、御巣鷹へ向けて出発。幸い風はなく、さわやかな朝の光が新緑をキラキラと輝かせている。若葉の柔らかな色だけでも十分美しいのに、そのあいだにいろいろな花が顔を出している。野生の藤は群生しているし、黄色のれんぎょうや紅いサツキが道ばたを彩っている。何よりも嬉しいのは、ここには桜がまだ残っていることだ。
最初の年に、このあたりの名物シャクナゲと山桜が一緒に咲いているというぜいたくな風景を見てしまってから、春の山行きには桜を期待してしまう。今年は暖かかったから、もう終わってしまったかなと心配していたら、宿舎のそばの木が何本も満開になっていて「待っててくれたんだ!」と勝手に嬉しくなってしまう。
新しい登山口。ここまで車が入る。手前が草野さん、遠くの赤い帽子が私
約20分くらい神流川(かんながわ)に沿って車で上っていくと、新しい登山口に着く。この登山口は去年完成して、それまで1時間以上かかっていた登山距離が約40分ほどに縮まった。急勾配で木の根や石ころが多い山道だけに、この短縮はとてもありがたい。けれど事故当時、遺族にとってそこがいつも事故現場を見返る場所だった「見返り峠のお地蔵様」も、車で通り過ぎてしまうことになって、それがちょっと残念。
登山口に着いて、いよいよ山登りスタート。草野さんもちゃんと山登りの装備で固めている。よく聞いたらTVのドキュメント番組撮影のために富士山に12回も登ったという大ベテランだった。
登山はマイペースが大事で、山歩きに慣れているご両親は、ゆっくりゆっくり同じペースで歩き続ける。私は「急勾配は一気にクリア、踊り場で一休み」タイプなので、先に登っていく。久しぶりの山なので最初は息が上がるが、10分もすると体が慣れてくるのがわかる。鶯の声を聞きながら新緑の中を登っていくのは、シンドサよりも楽しさが先に立ち、気候のよさもあってどんどん歩けて、気がつけばもう中間地点の山小屋に着いていた。山小屋は村が管理していて、トイレや休憩所がついているし、水場もある。一息入れ、飴を口に放り込んで、さあ出発。ここまで来たら昇魂の碑(激突地点)まではあと20分もない。気合いを入れて再び歩き始める。
スゲの沢下流の登山道を行く草野さんと、吉田公子さん
登山道のそばの沢は、今年は水が少なかった
山桜は、昇魂の碑のそばにもたくさん咲いていた。茶色の柔らかい葉と八重の花びらがぎっしりと豪華だ。昇魂の碑の作られている場所は、御巣鷹の尾根の先端部分なので、周囲の山々が一望に見通せる。向かいの山の日陰にはほんの少し白い雪も残っていて、標高約1600mのこの尾根の気候の厳しさを改めて知らされる。
昇魂の碑。鐘は見えないけれど左にある
昇魂の碑のそばにある鐘をつき、碑の前で、ここに眠る520の御霊に、「また来させていただきました」と挨拶をする。この連休にたくさんの遺族が訪れたらしく、小さな鈴つきの短冊が、そばの木枠にたくさん結びつけられていて、風が吹くとまるで風鈴のように美しい音で鳴り渡る。昇魂の碑をあとにして、また10分ほど歩くと、いよいよ由美ちゃんの墓標にたどり着く。
由美ちゃんの墓標は目立って華やかだから、遠くからでもすぐ見分けられる。色とりどりのドライフラワーが飾りつけられているせいもあるが、ご両親が来るたびに植える苗のどれかが、必ず花を咲かせて待っているのだ。今年は水仙がちょうど満開で、白、黄色、どれもみごとに花盛りだ。
墓標に着いたらいつも通り、まずは周辺のお掃除。枯れ葉を片づけ雑草を抜き、運んできた水で石碑を清める。それから空いている場所に新しい苗を植えるのだが、その植苗用に、お父さんはなんと15キロの堆肥入り腐葉土をリュックに入れてきていた。これを背負って登ってきたなんて、本当にタフというか…! 草野さんも苗植えを手伝っている。ガーデニングも好きだということで、手際もいい。
一仕事したらお茶の時間になる。あまり働かない私が、いちばん最初に甘い物に手を出す。もともと甘い物好きなうえに、山の空気と山登りのおかげでひときわ美味しく食べられる。お父さんはCDプレイヤーを取り出して(どれだけ背負ってきてるんだ…)、大好きな「千の風になって」を流している。歌手は中国の崔宗宝さん。2年前からお父さんは彼のこの歌に引きつけられて、追っかけをしているのだ(!)。今年は北京ツアーも計画しているとかで、崔さんとともに中国に旅行できるのが楽しみだという。
由美ちゃんの墓標の前のご両親(俊三さん・公子さん)
ひととき、由美ちゃんのお墓のそばで休んだあと、お線香を消し、お供物を片づけ、それぞれに別れを告げ、下山を始める。山は下山のほうが脚には意外と負担が大きい。細心の注意で下っていかないと、足を取られて転倒する。私も下り道では何度も転んでいて、今回もまたズルッとすべり、したたかにお尻を打ってしまった。
山を下る途中の、スゲの沢の墓標群のあるところに、今回もたどり着く。今年はここの山桜も満開で、ピンクのベールのように墓標の群を覆い、薄桃色に空を染めている。草野陽花さんは、もちろん初めてここを見たわけで、言葉を失ったままじっと佇んでいる。美しい春に来ると、そのはかなさや無残さもひとしおで、この季節に訪れたからこそ感じる無常感のようなものに胸を打たれてしまう。「ここにくると本当によくわかりますね」と草野さんが低い声で一言つぶやいた。
スゲの沢をあとに少し進むと、再び休憩所の山小屋にたどり着く。小屋番のご夫婦がいて、コーヒーをいれてくれる。上野村で電気関係の仕事をしながら、毎日陽のあるうちは小屋に来て、ついでに山中を見まわり、下草刈りや枝刈りをしてくれているのだ。山深いところなのに、墓標が草にも隠れず、歩く道も整えられているのは、こういう人たちのおかげで、本当にありがたいと思う。
山から下りたら、地元のおそば屋さんに寄って、美味しいおそばをいただく。名物の舞茸などを揚げた天ぷらそばは、すごいボリュームなので、私とお母さんは揚げ茄子のおろしそばを注文。それでもなかなかの量でお腹がいっぱいになる。
ここで帰京ルートが分かれる草野陽花さんと、一応お別れの挨拶をする。楽しい同行者で、本当によい慰霊登山ができたことに感謝し、映画化についても「気長に、でもがんばって実現させてください」とお願いする。
由美ちゃんは、映画女優としてもまだスタートを切ったばかりだった。1本だけ、それも脇役での出演しかなかった。映像という世界が、彼女を別の形でヒロインにして再生させてくれるなら、どんなに喜ぶことだろう。その日が、そんな遠くないうちに、本当にやってくることを心から祈っている。(文:榊原和子/写真:吉田俊三氏、両親の写真は草野陽花氏)
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☆もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
☆第1章 見果てぬ夢
☆第2章 誕生と家族
☆第3章 体操する少女
☆第4章 宝塚との出あい
☆第5章 宝塚音楽学校
☆第6章 娘役北原遥子
☆第7章-1 舞台1981~1982
投稿者 宝塚プレシャススタッフ 2007/05/14 16:50:54 榊原和子のSUMIREジャーナル | Permalink | トラックバック (0)