由美子へ・取材ノート
第12章 女優修行
「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション『由美子へ・取材ノート』。
第12章では、女優第1作目の作品である映画『ザ・オーディション』から、翌年の舞台『カサノバ’85』に出演するまでの由美子を描く。
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『ザ・オーディション』
女優としての由美子の第一作は、84年公開の東宝東和配給『ザ・オーディション』、映画初出演である。当時の人気アイドルグループ・セイントフォーの4人の少女と、人気ロッカー世良公則が主演する、アイドルのデビュー物語で、監督は新城卓。前年の『オキナワの少年』で、批評家や映画ファンに一躍注目されたところだった。
「この映画のオファーが来たときは“僕がなんでセイントフォーを?”と思ったんですが、『オキナワの少年』で、シロウトの使い方がうまいと思われたんでしょうね(笑)。
北原遥子の印象は、年の割に落ち着いているなと思いました。セイントフォーを鍛えるインストラクターの役で、マット運動をしてみせたり、劇場で指導したり、出番はわりと多かったと思います。綺麗な人でしたが、イントネーションに難があった。いわゆる宝塚的なセリフというか、言う前に構えてしまうんですよね。それがなかなか直らなかった。でも、素直でしたし熱心で、僕のうるさい注文に、がんばってついてきました。それに、出番がなくても、セイントフォーにつけている芝居をずっと見ている。非常に貪欲でした。
☆ ☆ (中略) ☆ ☆
『カサノバ '85』
映画撮影が終わった翌年は、亀田製菓とダイアモンド、デビアスのコマーシャル撮影。内藤の記憶では、両方とも事務所の売り込みではなく、代理店側からのオファーだった。
「宝塚時代にいくつかの広告モデルをしていたことで、そちらのほうの知名度はあったと思います。
ダイアモンドのデビアスのCMは、2バージョン撮って、事故の直前に2バージョン目が流れ始めたばかりでした。クライアントはアメリカが本社で、事故を知ってからも中止する必要はないと言ってくれました。でも、やはり日本の感覚では、放送しにくかったのでしょうね、中止になりました。デビアスの北原は本当に美しかったと思いますし、本人もCMの仕事には慣れていて自信があったから、いい顔で撮られていました」
☆ ☆ (後略) ☆ ☆
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《関連情報》
☆『由美子へ・取材ノート』について
☆2007年春の御巣鷹行
《バックナンバー》
☆もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
☆第1章 見果てぬ夢
☆第2章 誕生と家族
☆第3章 体操する少女
☆第4章 宝塚との出あい
☆第5章 宝塚音楽学校
☆第6章 娘役北原遥子
☆第7章-1 舞台1981~1982
☆第7章-2 舞台裏
☆第8章―1 舞台1983~1984
☆第8章―2 杜けあきインタビュー 屋上の思い出
☆第9章 メディアへの露出
☆第10章 劇団を去る日
☆第11章 女優への助走
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/06/26 12:04:54 由美子へ・取材ノート | Permalink | トラックバック (0)