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2007年6月19日 (火)

由美子へ・取材ノート

第11章 女優への助走

Top35  「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション『由美子へ・取材ノート』

 第11章では、宝塚を退団し、女優として再出発することになった由美子が、不思議な縁である芸能プロダクションの代表と出会い、その事務所に所属するまでを描く。其田プロダクションというその事務所には、当時、人気No.1女優だった夏目雅子がいた。

☆        ☆        ☆

夏目雅子との出会い

 宝塚を退団した由美子は、所属プロダクションを其田事務所に決める。代表の其田則男は、新劇の人気劇団、俳優座を経て文学座に籍を置き、映画や放送のセクション(いわゆる映放部)で、劇団マネージャーの草分け的存在として、手腕を発揮していた。やがてそのキャリアと人脈を持って独立、1969年に民芸の内藤武敏や鈴木瑞穂、文学座の石立鉄男などを抱えて、其田事務所を開いた。

 その後、女優は市毛良枝、春川ますみ、若手男優として売り出していた峰岸徹を加え、中堅どころのプロダクションとしてかなり知られる存在になっていたが、業界での知名度を一気に押し上げたのは、当時の人気NO.1 女優夏目雅子の存在だった。

 夏目雅子は本名小達雅子。華やかな美貌と、伸びやかなスタイルの持ち主で、76年に女優デビュー、翌年カネボウのカバーガール“クッキーフェイス”のコマーシャルでブレイク。以後、テレビドラマ「西遊記シリーズ」(78~79年、79~80年、日本テレビ系)の玄奘三蔵の鮮烈な色気や、和田勉演出の「ザ・商社」(80年、NHK)での大胆な演技で注目を浴び、その勢いをかって、映画「鬼龍院花子の生涯」(82年)や「時代屋の女房」(83年)に主演、映画賞を総なめにしてしまった。
 同時に、彼女の育ちの良さからくる無邪気さや無防備さは、ゴシップ好きのマスコミの好餌になり、恋人伊集院静との結婚までの紆余曲折は、知らないものがないほど、テレビや週刊誌を賑わしていた。

 「夏目雅子は、僕にとって初めて素人を預かって育てたケースでした。本人の資質の良さや性格のよさもあって、僕が彼女に描いた理想を具体化してくれて、大きな花を咲かせることができた。そして、伊集院さんと結婚して少し落ち着いた状態になったので、僕も、そろそろ次の女優を育てたいと思っていた。その頃、北原遥子との出会いがありました」

☆        ☆    (後略)  ☆      ☆

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『由美子へ・取材ノート』は、ブログ『宝塚プレシャス』でその一部を紹介しています。全文は会員サイト『宝塚プレシャス』でお読みいただけます。

《関連情報》
『由美子へ・取材ノート』について
2007年春の御巣鷹行

《バックナンバー》
もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
第1章 見果てぬ夢
第2章 誕生と家族
第3章 体操する少女
第4章 宝塚との出あい
第5章 宝塚音楽学校
第6章 娘役北原遥子
第7章-1 舞台1981~1982
第7章-2 舞台裏
第8章―1 舞台1983~1984
第8章―2 杜けあきインタビュー 屋上の思い出
第9章 メディアへの露出
第10章 劇団を去る日

投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/06/19 7:00:00 由美子へ・取材ノート | | トラックバック (0)

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