由美子へ・取材ノート
第17章 由美子その死
「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション『由美子へ・取材ノート』。
第17章では、1985年8月17日、遺体が見つかった日、そして葬儀の日の光景を描く。
☆ ☆ ☆
13日から遺体の確認作業は始まっていたが、由美子の生死はなかなか判明しなかった。体育館には遭難機の座席表が張り出されていて、遺体が見つかるとその座席が塗りつぶされていく。キャンセル待ちで乗った由美子の座席ナンバーは、予約者名簿には書かれていない。どこに座っていたのかもわからないまま、一家は座席表を前に焦燥感をかみしめる日々が続いた。
「乗っていた場所によってはかなりひどい状態だと聞いていましたから、妹のことも覚悟していました。着いてから4日、5日と経っていくと、1組、2組と家族の遺体を発見して帰っていく人たちが出てきて。少しずつ遺族がいなくなっていくと、残されるものたちの焦りや寂しさが強くなっていくんです。そんな状態ですから、完全に近い遺体を連れて帰れる人は、本当に羨ましがられていました」
☆ ☆ (中略) ☆ ☆
一晩、我が家で眠った由美子の遺体は、18日の午後、西五反田の桐ケ谷斎場で荼毘に付された。母は火葬場で由美子の棺が扉の向こうに消えたとき、崩れるように倒れた。
夜7時からが通夜で、宝塚の同期生や平沼高校の同級生など200人が訪れた。親友の黒木瞳は、月組の仲間に抱えられるようにして参列していた。
告別式は翌19日午後0時半から、場所は同じ桐ケ谷斎場で、事故からちょうど1週間目だった。
☆ ☆ (後略) ☆ ☆
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《関連情報》
☆『由美子へ・取材ノート』について
☆2007年春の御巣鷹行
《バックナンバー》
☆もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
☆第1章 見果てぬ夢
☆第2章 誕生と家族
☆第3章 体操する少女
☆第4章 宝塚との出あい
☆第5章 宝塚音楽学校
☆第6章 娘役北原遥子
☆第7章-1 舞台1981~1982
☆第7章-2 舞台裏
☆第8章―1 舞台1983~1984
☆第8章―2 杜けあきインタビュー 屋上の思い出
☆第9章 メディアへの露出
☆第10章 劇団を去る日
☆第11章 女優への助走
☆第12章 女優修行
☆第13章 夢への一歩
☆第14章 別れの夏
☆第15章 日航123便
☆第16章 遭難
投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/07/31 7:00:00 由美子へ・取材ノート | Permalink | トラックバック (0)