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2007年8月 7日 (火)

由美子へ・取材ノート

第18章 遺したもの

S18_4 「宝塚随一の美女」と称された元タカラジェンヌ北原遥子(本名・吉田由美子)の生涯を詳細な資料と証言でつづるノンフィクション『由美子へ・取材ノート』

 第18章では、由美子が残した遺品、そして遺された両親が墜落現場の御巣鷹を訪れた日を描く。

☆        ☆        ☆

遺品

 由美子の遺品を引き取るために、母は何度か群馬県前橋の県警まで足を運んだ。

 「靴はとうとう見つかりませんでした。たぶん不時着にそなえて脱いでいたのでしょう。それからバッグもなかった。気に入っていつも使っていた白い大きなバッグが、部屋を探してみたらなかったので、それを持っていったのだと思います。おそらく焼けてしまったのでしょう、中身は出てきたのですが。化粧ポーチもありました。いつも髪をとめるカラーゴムまでちゃんと残っていました。大事にしていたミュシャの絵のコンパクトがありませんでした。時計も皮(のバンド)は見つかったのですが、本体はなかった。
 スケジュール帳は、私は見覚えがなかったのですが、中に市川森一さんの名刺があったので由美子のものと知りました」

☆        ☆    (中略)  ☆      ☆

その山へ

 遺族が初めて墜落現場を見ることができたのは上空からで、事故の年の秋だった。10月24日に合同慰霊祭が東京で行われ、そのあとヘリコプターで花束を落とすために、現場まで日航が大型ヘリで運んでくれた。

 「夫と2人で乗って行きました。もう紅葉が始まっていたけれど、事故現場の地肌はえぐれたままでした。救出や遺体運搬のためにつくったヘリポートも、そのまま残っていました。でもそこに降りることはできなくて、花束を投げ落としただけで、旋回して帰ってきました」

☆        ☆    (後略)  ☆      ☆

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『由美子へ・取材ノート』は、ブログ『宝塚プレシャス』でその一部を紹介しています。全文は会員サイト『宝塚プレシャス』でお読みいただけます。

《関連情報》
『由美子へ・取材ノート』について
2007年春の御巣鷹行

《バックナンバー》
もうひとつの『由美子へ』―若くして逝ったある宝塚女優の記録
第1章 見果てぬ夢
第2章 誕生と家族
第3章 体操する少女
第4章 宝塚との出あい
第5章 宝塚音楽学校
第6章 娘役北原遥子
第7章-1 舞台1981~1982
第7章-2 舞台裏
第8章―1 舞台1983~1984
第8章―2 杜けあきインタビュー 屋上の思い出
第9章 メディアへの露出
第10章 劇団を去る日
第11章 女優への助走
第12章 女優修行
第13章 夢への一歩
第14章 別れの夏
第15章 日航123便
第16章 遭難
第17章 由美子その死

投稿者 ベルばらKidsぷらざスタッフ 2007/08/07 17:02:25 由美子へ・取材ノート | | トラックバック (0)

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