今回はいつも「出戻りファンの温故知新」にネタを提供してくれる元祖出戻りファンの雅幸姫さんからのお便り特集です。題して「観劇仲間・ファンあれこれ」。
… (07/05/30)先日、気になるジェンヌさんがいらしたので、愛称を確認したら、たくさんあるではありませんか!!
一体彼女のことをなんて呼べばよいのでしょう?
さらに年によって愛称が変わっている事実も発見!
以前は愛称を決めるのにも宝塚歌劇団の了解が必要で、一つあるいは二つまで、その愛称は卒業(退団)するまで変わらないとされていたような気がします(多分)。
一体いつから愛称に変化が起こったのでしょう?(雅幸姫)
また、若い頃、漫画雑誌で連載していた青池保子の「エル・アルコン-鷹-」や大和和紀「あさきゆめみし」も舞台化されます(「あさきゆめみし」も再演ですが、2000年初演は観劇しておりません)。
1月にバウホールで公演した星組の「Hallelujah Go! Go!」は、一斉を風靡した「サタデー・ナイト・フィーバー」を彷彿とさせます。とこのように、今年の演目は私の年代には嬉しい限り。
「星影の人」と「バレンシアの熱い花」は実際観劇もしておりますが、漫画でも読みました。「ベルばら」ブームと共に「宝塚」ブームでもあった当時、宝塚の名作とうたわれる作品を題材にした漫画を連載していたのです。(「花のオランダ坂」、「虞美人」、「はるかなる山の呼び声」、「あかねさす紫の花」等)
また「安奈淳物語」をはじめ、各組のトップスター達の生い立ちや宝塚での生活を描いた漫画連載もありました。
あれから数十年、少女からすっかりオバサマになった私に、それぞれの舞台はどのように見えるのでしょう。とても楽しみです。(雅幸姫)
★前回までのお話――
前回の「懐かしの宝塚アワー」では、出戻りファンの雅さんのお便りをもとに調べたところ、1960年代の「宝塚51」や「宝塚アワー」、80~90年代の「タカラヅカ花の指定席」「フラッシュ・タカラヅカ」といった宝塚歌劇を紹介する数々のテレビ番組がかつて存在したことを知りました。それでは史上空前のタカラヅカブームとなった70年代はどうだったでしょうか。
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… (07/03/14) 私が熱烈に宝塚にはまっていた頃は、今のようにCS放送の「タカラヅカ・スカイ・ステージ」というものはなく、たまにNHKで放送される舞台中継があるのみでした。もちろん、ビデオ録画もまだありません。
後は舞台を想像しながらレコードを聴く毎日。
そんな中、「ベルばら」ブームで宝塚が全国区になった為、私の住んでいた地域限定かも知れませんが、民放でも舞台中継がされることになりました。
とても楽しみにしていたのですが、新聞を読むと放送時間が「15分」となっています。
15分で舞台中継って・・・?
頭の中は???マークでいっぱいでした。
そして始まりました、「宝塚アワー」。
放送された舞台は「はいからさんが通る」でした。そして、本当に15分で終わってしまったのです!!番組の最後、「来週へ続く」と…。次の週ももちろん15分で「来週へ続く」…。
しかも、放送時間が早朝だったり、深夜へ移ったりとで、結局まともに舞台を覚えておりません。
気が付くと「宝塚アワー」は新聞のテレビ欄から消えておりました。
あれは夢か幻だったのでしょうか?
どなたかあれが事実だったと教えてくださいませ。(雅幸姫)
「ムラ」のメッカ(?)宝塚大劇場。
ただ舞台を観劇するだけにとどまらない、本コラムのネタ提供者で出戻りファンの雅さん曰く、“ワンダーランドのような”館内を、今回はご紹介しましょう。(本レポートは、朝日新聞に掲載された記事を元に構成しました。)
出戻りファンになってすぐに始めたこと、それはネット検索でした。世の中便利になりましたね。
例えば「今日の舞台で右から何番目にいた方はどなたですか?」と聞けばすぐに教えてくれるなんて、昔ではありえないことでした。
ネットでいろいろ調べていて、不思議に思った言葉が一つあります。
「ムラ」という言葉。
どうやら宝塚にある「宝塚大劇場」の事を指しているようなのですが。
なぜ、「ムラ」なのでしょう?また、いつから「ムラ」と呼ばれるようになったのでしょう?
調べてはいるのですが、答えが見つかりません。
どなたか「ムラ」と呼ばれるようになったいきさつをご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?(雅幸姫)
… (07/01/10) 私が以前、宝塚にはまっていたのは、小学生から中学生までの短い期間でした。当時はファンクラブ(FC)ではなく、「後援会」と呼んでいて、私は同じ出身地(青森県)の方の後援会に入っておりました。
お茶会などは当時からありましたが、遠方なのでほとんど行ったことはありませんでした。
初めて「入り待ち出待ち」を体験したのも出戻りファンになってからです。
出戻りファンの雅さんより、30年ぶりに買った「歌劇」では、ジェンヌさんとファンとの交流のページが減ってしまって残念だというお便りをいただきました。
そこで調査隊(スタッフのこと)が、過去の「歌劇」を調査しました。(※残念ながら30年前のものは入手できませんでした)
「歌劇」で、残念ながら変わっている事が一つありました。それは、ジェンヌさんとファンとの交流のページが減ってしまったこと。
昔は「今月のイベント」のようなページが設けられていたと思うのですが、現在の「歌劇」には見当たりません。
ファンとしてはやはりスターの方と直接ふれあいたいものですよね。
「宝塚おとめ」と並ぶもう1つのファンのバイブル、「歌劇」はどうでしょうか。
「花の道より」は小林理事長のエッセイ。ジェンヌさん達が3ヶ月代わりで綴る「えと文」、これは文字通り絵と文です。絵は仲良しのジェンヌさんが担当する事が多いようですね。現在公演中の楽屋の裏話をジェンヌさんが暴露?する「楽屋日記」など、変らないコーナーがたくさんあって、古くからのファンとしては嬉しい限りです。
出戻りファンの雅さんの、30年ぶりに買った「宝塚おとめ」の変化にびっくり!というお便りを元に、調査隊(スタッフのこと)による調査レポートの第3弾!
前回は、ひらがな、カタカナの芸名が多いことや名字でいちばん多い音、漢字1文字の名字と名前について調べてみましたが、変化はそれだけではありませんでした。
… (06/11/01)出戻りファンの雅さんの、30年ぶりに買った「宝塚おとめ」の変化にびっくり!というお便りを元に、調査隊(スタッフのこと)による調査レポートの第2弾!
今回は一番の大きな変化、芸名についてレポートします。
出戻りファンの雅さんより、30年ぶりに買った「宝塚おとめ」の変化にびっくり!というお便りをいただきました。
そこで調査隊(スタッフのこと)が1976年(30年前)、1996年(10年前)版の「おとめ」を入手。最新の2006年版との違いを調べてみました。長い「おとめ」の歴史をたった3冊で比較・分析してしまうのもどうかという意見もあるかと思いますが、気づいたことを少々あげてみました。
出戻りファンは昔のジェンヌさんのお名前や愛称はわかりますが、今活躍されているジェンヌさんの事は全く知りません。これは「宝塚おとめ」を買って勉強をしなければ!と2006年度版を早速購入。
現在の「おとめ」はB5判で、全てのジェンヌさんがカラー写真で紹介されています。昔(ほぼ30年前)は確かもっと小さく、多分「歌劇」くらいの大きさだったと思います。カラー写真も組長・副組長・トップスターなど5名くらいの方のみではなかったかと・・・。
… (06/10/04)始まりは雅さんからのお便りからでした。
「小学生で原作にはまり、小学5年生で宝塚デビュー。劇場へは何度足を運んだことでしょう。小学生にして一人で夜行列車に乗り観劇に来たこともあります。宝塚「ベルばら」は初演よりIIIまで見続けました。
男装の麗人オスカルは、女子校育ちの私には永遠の憧れ。
高校時代には「フランス革命の中のマリーアントワネット」という論文を書き、学校より金賞をいただきましたが、参考文献に『ベルサイユのばら』と書いて先生からはお叱りを受けました。